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ネットde法話

慧光寺法話会

 この法話会は2002年慧光寺開山以来、真宗木辺派第22代門主木邊円慈猊下に御下向賜り、続けさせて頂いている法話会・仏教ゼミの内容を掲載しております。​

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​真宗教義出版準備局

法話1

忍野仏教センター

開設記念法話                          平成14年5月12日収録

まなざしの中の私

 

 本日は皆様ようこそ、この山の中の忍野仏教センターへお越し下さいました。そして先程ご本尊様を無事お仏壇にお納め致し、入仏の御法要を営ませていただきました所、皆様にお参詣をいただきました事もあわせて御礼申しあげます。

 さて、簡単に自己紹介を致し、しばらくお話を致します。

 仏教の宗派に真宗(浄土真宗)という、開祖を親鸞聖人とする宗派がございますのを御存知と思います。京都にある本願寺が有名であり、お寺も大きく宗派的にも大きな勢力なのでありますが、その浄土真宗には明治以来、真宗十派と呼びますが、十の派がございます。教義的にはほとんど違いはないのですが、古くからの伝統的なつながりの中で十の派ができました。その中の錦織寺を本山とするのが、私共の木辺派でございます。錦織寺は滋賀県にあります。そして私はその錦織寺の住職でございます。この忍野仏教センターを開くことになった山下君が錦織寺で、お坊さんの資格をお取りになりました御縁で、本日ここに開所入仏式にお招きいただき、皆さんにお話をする機会をいただきました。

 本日どのような方々がお集まりいただくのか全くわかりませんでしたので仏教の要点になるような事をお話すべく考えて参りました。わかっている話かもしれませんがしばらくお聞き下さい。

 人間の感覚には五つのものがあります。眼耳鼻舌身という五つの感覚であります。そしてこの五感は、当然脳(意)に集められ、そこで反応し、合成し、思考していきます。六つめを意といい前の五つの識と合計して六識と仏教では言いますが、世に言う六感でいいのではないでしょうか。なにも推理事件の犯人探しだけに働くのが六感ではありませんので、普段日常においても、我々は六感を働かせて動いております。狭い道を向うから猛スピードの車が来れば「あぶないかもしれない」という反応をする、というのは眼耳鼻舌身という五感より得られたことを統合して構築された六感によって反応しているのであります。

 この六感の中で、更に記憶の奥底に蓄積されたものが、無意識というものでありましょう。現代の心理学では無意識という言葉を使い、知らないうちに行動していた、という場合によく使います。無意識は、第六感の更に奥底にあるという事で、順をつければ第七感になるのですが、仏教ではそれを第七識、マナ識という名称をつけて、いわば現代心理学の発達以前から、その存在を明らかにしております。

 仏教の論理は、さらにこの無意識という七番目の意識の底に、人間のみが持つ識があるとしています、それを第八識といい、アラヤ識と呼んでおります。このアラヤ識というのは人間のみが持つ識であるという所に特色があります。人と他の動物の違いであります。先程申しました第七番目の無意識は、心理学の対象になって、夢の分析などしていますが未だそのありさまは、はっきりしません。ましてそのまた底の方の八識ということですから、説明しているのは仏教だけであります。解明どころかその糸口すらも、現代の一般的心理学では説明できません。では一体、心の奥底の八識は何があるのか、仏教で言うそのすべてを言い尽くすことはできませんが、仏教ではこう考えています。

 哲学というのを御存知でしょう。宗教と哲学とは近い関係にありますが、その哲学の目的は、ギリシャに始まる哲学以来、真と善と美を求めるものであります。人間にとって何が真実か、何が最高の善なのか、究極の美とは何か、という事であります。美は芸術となって音楽、絵画等があります。小説や映画、劇になると美だけではなく善とか真実が含まれてくるでしょう。真善美のその究極を求めてやまないのが人間でしょう。それは心の底の第八識にそういうもの、真善美を求めるものがあって、その第八識から第七識の無意識へ、第七識から更に第六識に、と意識が浮かび上り明確になってくると、そこに芸術が生まれ、芸術家が生まれ、あるいはそれをとりまく私共多くのふつうの人間も、その芸術の世界を理解することができることになります。

 この心の奥底の第八識に存在する心の働きを、真善美という言い方をするのは哲学における表現であって、仏教では知情意と言います。知は真と同じでしょう。究極の知は真実を求めます。純なものとは浄いものですから、美であると思います。純なもの、純粋なものという事では、形に表れた美しいものと同時に、形に現れない心の状態、心情といったものの表れもあるのでしょう。音楽は調和する美しい音の世界を求めます。美しい心といったことではないでしょうか。そして意というのは、善を求める心でしょう。

 こういう心情が心の奥底にあって浮かび上ってくるのです。それが芸術という素晴らしいものになるのでありますが、それはごく一面の部分が浮び上って出てきているのでしょう。ところが、仏教では「浮かび上ってこないんです。」容易な事では浮かび上がれない程に厚い雲の層にとりまかれていて、本当のもの、真実のもの、純粋なものは出て来ない。或は出て来ても雲に汚染されて出て来ていると見ているのです。その汚染源となる厚い雲とは何かと申しますと、人間の持つ我執や分別である、といいます。我執と分別を分かりやすく言いますと、私共人間が特に成長する程、大人になればなる程得ていく知恵です。それは自分の損得で物事を計算する欲求や欲望の心というものであります。ですからその汚染を通り抜けて、知情意(真美善)の心が表れて来ると、我々は感動させられます。美しい芸術、美術、芸能、すばらしい絵画、すばらしい音楽に感動します。(中には、これは一千万円の絵や、といって一千万円に感動して見ている人があるようですが、それでは芸術は理解していませんね。)人間は本当の知情意を求めてその厚い雲のつき抜けを求めていくものであります。だから根元の第八識は動物にはない、人間をして人間らしい行動の根本でもあるのです。八識の発露である宗教こそが人間をして人間たらしめるものと考えるのであります。

 仏教では仏様は最高の人格者であると申します。知も情も意も最高のものである方という事であります。それも最高のものが一つ一つが別々に最高のものではなく、最高のものが三つ一体になって、欠けていることないものが最高のものであります。それを仏陀と申します。

仏陀とは覚者、目覚めた者ということであり、仏様であります。最高の知情意が一体となった存在になるという事は、自分の損得で判断するとか、自分の欲望がみられないという状態であり、仏教では、無心とか無我という言葉でその状態を表現します。どうでしょうか、芸術をきわめていく方にはおそらく製作中は無心に作業する所があり、完成の領域では無我になっているところがあるように思うのですが・・・。

 そしてこの無心、無我の世界から改めて人間世界を見てみますと、人間の持っている自分にこだわり、自分の欲望にこだわること、このことを我執とか分別と言います。それがよくわかります。はっきりと見えてきます。その我執と分別の故に人間が苦しんでいる様子がよくわかってくるのであります。そこで、その最高の人格の世界から見える人間の苦しみに対して、最高の人格のあり方としては、当然ながら手助けをしてやりたい、放っておけない、救ってあげたいという願いが出てくるのでしょう。苦しみの根本にある我執や分別を取り除いてやりたいという願いがでてまいります。出て来なければ最高の人格とは言われないでしょう。

 そしてその願いは、単に願っているだけでは何も実現せずに意味がないのであります。当然に働きかけがなされるのであります。私達苦悩を抱えた者の側から見れば、最高の人格者、仏さまは、私たちに働きかけてきて下さっているのであります。これが日本に伝わる仏教の根本的な本質でしょう。

 くり返しますが、自分だけが人格を完成すればよいのであって、他の者は勝手にするがよいという利己的なものであったとしたら、そこに完成される人格は決して最高のものではないでしょう。最高人格者としての、仏さまとしての人格の完成のためには、苦しんでいる者をも救ってこそ完成するのであります。これを仏教の言葉で自分のための行い(自利)と他のための行い(利他)が一致する(円満)するといいます。自利利他の円満が、仏をして仏ならしめるものであり、私達普通の者は、仏教ではこの存在を凡夫といいますが、凡夫は、仏さまの働きかけを受けているのであります。

『維摩経』というお経があります。そのすべてを今はお話できませんが、維摩さんという方が病気になって、文殊という菩薩が見舞いに行きました。「あなたはどうして病気になったのですか」と問うと、「衆生、つまり多くの人々が病むがゆえに我は病む」と答えたそうです。衆生というのは多くの者、その多くの者が苦しんでいるから私も苦しいとおっしゃったのであります。仏さまとは、凡夫を放っておけないのであります。これを仏教では「仏凡一体」とも表現していますが仏さまの方からは衆生を放っておけないのであります。「そんな勝手なことをしてくれんでもよい。仏さんの欲ではないのか」と理屈を言う方もありますが、その仏さんの欲は、我々凡夫の持つ自分のための欲と同じではありません。凡夫の持つ欲やそれへの執われを我執とか個我と言います。あるいは短く「我」といいます。しかし仏さまの願いはすべてのものに、すべての衆生にそそがれているものですから、大我とか真我といって、我執の欲とは区別しており、欲とは言わないのであります。

 仏教は仏さまになる教えではありますが、仏さまに成るという事は、仏教の真理を完全に得たということでありますから、仏さまになるという事は仏教の真理そのものになるという事でもあります。仏とは仏法そのものであり、仏の教えの真理そのものでもあります。

 仏教は仏さまが(歴史的に言えばお釈迦さまが)覚った世界を語り、その覚った世界に到達する方法を語ったという事であります。仏が仏の世界とそこへの方法を説いたのであり、仏の世界に入れば、それは個々の仏ではなく、すべて同一の世界、同じ世界であります。仏教の悟りの世界は同一であります。その世界のことを法の世界(仏法の世界)と言います。その法の世界には、未だ仏教に眼を開かれていない衆生に働きかけるという働きを持っているのであります。仏法の世界にはそういう働きかけが内包されているという事であります。

 だから仏さまは、私達衆生に働きかけてくださっています。仏さまは悟ったからと言って静かに坐っているのではありません。どんどん働いているのであります。極楽に行っても仏さんはお留守であります。

 どんどん働きかけてくださっているのですが、その働きかけの様子はどのようなものかと言いますと、仏道、つまり道としていろいろお示しくださっていて、我々はそのお示しに従って仏道を歩むのであります。

 仏教に眼を開かれていない未開発の者には、賢い人もいれば、ちょっと意思の弱い人もいる。その賢い人には、一を教えればすぐ十を知って行動するでしょう。一をちょっと教えればどんどん仏道を歩んでいくでしょう。一を教えることで道が示されて、それを歩むのですから全く自分の力とは申しません。むしろ仏さまの力、つまり仏力の道ではないのでしょうか。禅の道元禅師は「仏が道になって私を導いて下さる。その道を歩むことが、すなわち悟りなのである」とおっしゃっています。仏さまの示す仏さまへの道を歩むのであります。

 さて、ちょっと意思の弱い者、これは私共ほとんどの者が入ります。仏さまの働きは、この私共にも働きかけます。苦しんでいるすべての者を救わなければおかないというお心なのですから、意思の弱い、凡夫と呼ばれる者を放っておくわけにはいきません。むしろそういう者たちには、よけいに力を出して手助けをしなければなりません。つまり最高の人格者である仏さまはその最高の仏さまの世界から、最低の者のところへ働きかけをしなければ、最高の人格とは言えなくなります。最低の者に働きかけるということは、並の心と力ではいかないでしょう。そのお心を慈悲心と呼んでいます。『観経』というお経に「仏心は大慈悲心是なり」と書かれています。

 浄土仏教の諸々の師匠たちは、この言葉に注目なさいました。一を聞いて十がわかる私ではない。十を聞いても一すらできないのが私という凡夫の存在であり、そのわたしを捨ておいては仏の世界は成り立たないのであるから、その平凡で、愚かで、最低の、下の下の私への働きかけは一大慈悲心をもって、もっとも力を出して、最も容易な手段方法を、この私にとらせることで仏になれる方法を考えて下さるであろう、と浄土教の諸大師は思われたということであります。

 親鸞聖人はそのことをこのような歌を詠んで我々に知らして下さっています。

   如来の作願をたずぬれば

    苦悩の有情を捨てずして

    廻向を主としたまひて

    大慈悲心を成就せり

 

 如来というのは仏さまです。

 仏さまが作った願い(興した願いの内容を)をたずねてみると、私たち苦悩を持つ者を捨てないで、まわし向け、さし向けて下さることを主体としたお働きかけをなさっていて、すべてのものを救うという大慈悲の心を完成なさっている、ということであります。

 

 時間が参りましたので本日はこのあたりで話を切りますが、仏教は私たちを仏さまにしたてて下さるのであり、その方法としていろいろな宗派が存在しているのであります。その根本の所は、私たちすべてを仏さまにするぞという呼びかけられた願いであり、これは大慈悲心と言いますが、そういう願いが、かけられているのであります。すべてのものに仏さまのまなざしとお呼びかけが及んでいると。私たちは今、仏さまのまなざしと呼びかけの中にいるのであります。このことを肝に銘じて、これからの日々を過ごして下さい。

 

 

書 名 まなざしの中の私​

忍野仏教センター開設記念・真宗木辺派ご門主法話会

第二回忍野仏教センター真宗木辺派ご門主法話会              平成14年7月14日収録

智慧をいただく私

 

前回の話を簡単にまとめてみますと、仏教というのは、仏さまが、仏さまのすばらしい世界を語り、その世界に私たちの到達する方法を語ったのであります。仏さまというのは最高の人格の完成者、最高の人格者であり、それ故にすべての苦しみ悩む者に解決を与え、救い出さずにはいられないというお心を持っていらっしゃるのであります。そのすべての苦しみ悩む者を救わずにはいられないというお心を大慈悲心といいその目にうつっている存在である私たちはそのまなざしの中にいるのだという思いが大切であります。という事を申しました。

 本日は、また異なった面から仏教の基本的なことをお話いたしたいと思いますが、初めに戻ってみますと、仏さまが、仏さまの世界を語り、仏さまになる方法を語ったのでありますから、仏さまの世界とはどんな世界なのか、あるいは仏さまに成るとどんなふうになるのかという事をお話致します。仏さまに成るというのは短く言うと「成仏」なのですが、世間ではお亡くなりになった方を、仏といい、お亡くなりになることを成仏と言いますが、これは仏教の用語を使っていても、その示す内容は仏教とは違っていますので、その間違った常識は改めていただきたいと思います。同じ誤解で使うなら、めったに怒らないいつもニコニコしている優しい人を、仏さんのようだと言う事がありますが、この方がまだ仏さまに近いかもしれません。いずれにせよ誤用でありますが何故誤用が生じたかは、仏教を学んでいただくとわかっていくことだと思います。先程も申しましたように最高の人格者、人格の完成した人を佛というのでありますから、理想的な人間であり、本来的に人間を超えている御存在であります。その仏さまが、どうお考えになっているか、どういう世界においでになるか、実はこれから私が語ろうとすることは、その仏さまのごく一部分を、おっしゃるお言葉に基づいて語るのであります。つまり私は仏さまではありませんので百パーセントの、仏さまの心はわかりません。私より偉いお坊さんや大学の先生方も仏教を語られると思いますが、おそらくどのお方も、私は仏さんではないけど、一部分をくだいて、くだいて語っておりますとおっしゃるのではないでしょうか。

 究極の仏さまの世界は、『唯仏与仏の知見の世界』(ただ仏と仏のみが知り、見る世界)と言って、仏さまどうしが心と心で肯き合う世界なのであります。お盆になると地獄や極楽の話が出て参りますが、この地獄とか極楽とかは、『唯仏与仏の知見の世界』であって、私ども仏でない身には見えない、見られないものでありますから当然見せることもできないのであります。どこにあるんだと言われても、仏様でない私には、お経によればとしか答えられないのであります。

 最高の人格者である仏さまどうしが、目くばせして「うん」「うん」と肯づいて通じ合う世界なのであります。私どもは仏教を学ぶことでごく一部分にせよ、仏さまの目くばせに同調して「うん」「うん」と肯ける所が生ずるならば、そのすばらしい仏教の世界に一歩近づいていることになります。日常にこのような体験はありませんでしょうか。家族などでお父さんに何かクセがあって、それを家族一同は皆知っていて、そのクセが出ると家族一同、目くばせして、「ほらまたあ」と言えばわかるような事はございませんでしょうか。まあ、人間のクセではロクなことではありませんが。

 さて仏さまの教える世界とはどのような世界でしょうか、その根本は「縁起の法」を知りなさいということであります。先程の仏(ほとけ)の場合と同じように縁起という言葉も、世間一般の使い方は、仏教とは無関係に使われているようであります。よく聞く言い方は縁起がいい、とか縁起が悪い。縁起の悪い方は嫌われます。

病院には四階がなくて三階の次は五階だったり、四号室と九号室はないそうです。四は死に九は苦につながって縁起が悪いそうです。私どもが衣をつけて病院に行くと何やら白い眼で見られます。やはり縁起が悪いらしいのです。また、縁起物ですと言って結婚式のお茶は桜の入ったお茶が出たり、御商売の方には招き猫の置き物を贈ったり、頑張れよとダルマさん贈ったりするのは良い縁起物なのでありましょう。

 仏教で言う縁起は、文字どおり縁によって起こるという事でありますから、それが良い悪いの評価は全くありません。良い悪いは私ども人間が自分の都合でつけているだけであります。お経によれば「縁によって生じ縁によって滅する」とあります。滅するとは消えて失くなるでしょうか。縁起をわかりやすく言えば原因があり結果がある。或は原因があり、ある条件が加わって結果があると申しあげればよろしいでしょう。しかし、原因結果という繋がり方は決して単純ではありません。非常に複雑であり、思わぬ繋がり、考えてもみなかった条件がそこに加わるのですよという事が「縁起の法」の世界であります。私たちの考えられる条件以外にいっぱいあると思います。

 ここに花が咲きました。花が咲くには茎が出て、その前には若葉が出て、その前には種が落ちて、誰かが種を落として、とたどっていきますと鳥でもいい獣でもいいのですが、種を落としたのです。幸いにアスファルトの上ではなく、泥の地面に落とした。その泥の地面は適度に養分があって、養分はありすぎてもいけない、なさすぎてもだめです。適度な養分、しかもその種に役立つ養分でないと種は発芽しません。この土は、やはり適当な湿り気を持ち、びしゃびしゃの水浸しでもなく、砂漠のような所でもなかったことが必要でしょう。競争相手の植物の種やそれらの植物が生えていないことも条件になります。バクテリアとか蟻とかに見つけられることもなかった。芽を出して、若葉が出て、太陽が適度に照り、雨も適度に降り、若葉を虫や鳥に喰われることもなく、光合成をくり返しながら成長し、立派な茎ができ、この時も牛や馬などの動物に喰われることなく、踏み潰されることもなく、とさまざまな条件が働いて、種から芽が出て茎が出て葉が出て花が咲くのであります。一つ花が咲くにはまだまだ他にもあると思いますが、ともかくこれだけの条件が重なり合わなければ花は咲かないのであります。これらすべてが縁起という言葉で示される繋がりなのであります。単純に原因と結果だけではないことがおわかり戴けましたでしょうか。

 この縁起を人間の世界にあてはめると、私が生まれて、成長して、ここに居るまでの間には、実に様々な原因、要件、条件があり、決して自分一人で存在できたのではありませんし、存在しているのでもありません。それ故に自分中心にこの世の中が動いているわけでもありません。また私の存在もまた多くの人々に自分で知る知らないにかかわらず、何らかの影響を与えながらいるのであります。その人のためになるプラスの影響もあれば逆に為にならない影響もあるでしょう。

この縁起をさらに身近かな表現で申せば、すべてのものは持ちつ持たれつであります。すべてのものは持ちつ持たれつ、と申せば、何だそんなこと、わかっていることだ。と思われるでしょう。わかっているのであります。

私たちは頭ではもう充分に、そんなことはわかっているのであります。しかしそのわかったことに基づいた行動はなかなかできないものであります。

 お釈迦様が出家されるきっかけ、動機をお経(仏典)は、四門出遊、四つの門からお出かけになるという話で、まとめて説いています。あるとき、一国一城の王子として何の不自由も、苦しみもない、めぐまれた生活をして、健康で元気な若者であったお釈迦様、このときはまだ出家していませんからゴータマ・シッダールタと呼ばれた青年は、部下を連れて町を見回り散歩しようとして、お城の東の門からお出かけになりました。すると途中で、腰が曲がり杖をつき、足を引きずり顔はしわだらけで身はやせたみすぼらしい身なりの者に出会ったのです。シッダールタ王子は驚いて「あれは何だ」とおつきの者に聞くと。「老人です。」「老人とは何だ。」「人は年をとればあのように身が衰え、杖を頼りにしてようやく歩くという姿になります。」「あの者だけがそうなるのか。」「いいえ人間たるものすべて年をとればあのようになります。」

王宮には若い娘や元気な者、威勢のいい者ばかりで、いまにも倒れそうな、ヨロヨロと歩く老人なんて居ませんから、王子は初めて見るよぼよぼの老人にびっくりした上に、誰でも年をとればあのような姿になるということは、己もああなるのだと思うと、ショックを感じて、散歩をとりやめて城へ戻ってしまわれたのでありました。

 暫くして、気を取り直したシッダールタ王子は、東の門は変なものに出会ってしまったから、こんどは南の門からにしようと再び町へ出かけたのです。暫く行くと道端に悶え苦しむ人が倒れていました。手足をばたつかせ、身をよじり苦しんでいます。今はね、こんな人が道にいたら、親切な人が救急車でも呼んで下さるでしょうけれど、二千五百年の昔ですから、誰も助けられないですね。

苦しむにまかせて放っておくよりしかたありません。

シッダールタ王子は、おつきの者に聞いたのです。「あれは何をしているのだ。」「病気で苦しんでいます。」「病気って。」「身の中での働きが異常な状態になるのですが・・」「あの者だけが病気になったのか。」「いえ誰でも身中に異常が発生すれば病気になります。」やはりお城には元気な者、健康な者しかいませんから、初めて見る病人のようすに驚くと共に、誰でも病気になる、ということは例外なく自分もいつかあの姿になるかもしれないと思うと、またもやショックを受けて、散歩はとりやめて城へ戻ってしまわれたのでありました。

 暫くしてやっと気を取り直したシッダールタ王子は、また散歩に行きたいと思い、東と南を避けて、西の門から出かけました。すると行列に出合いました。私も先年インドを旅行中に偶然に異様な行列に出合ったことがあります。先頭に緑の顔料を顔にベタベタとつけた人物が二人程、踊りといっても、単に手足をバタバタさせたような、形のないメチャクチャ踊りをして、大きな声で泣きわめいているんです。その後ろには笛と太鼓で樂を奏する人が続き、つづいて六人程の人に担がれた、草が敷かれ花で飾られた台が続きました。その台には、顔には緑の顔料が塗ってありましたが、死体特有のドス黒い体がはだかで腰巻をした姿で乗せてありました。その後は親類・縁者と思われる男女がぞろぞろと、ごく普段の着衣姿で行列をしていました。西の門から出た王子の一行は、こういう行列に出合ったのです。「あれは何だ。」「お葬式です。」「何」「人は死にます、死ぬと皆が悲しんであのように葬い、火で焼いてその灰を川に流します。」「死ぬって」「死ぬということは体のもろもろの機能が活動を停止して動かなくなるのです。年をとったり、病気になったりして、誰でも必ず死にます。」という説明に、シッダールタ王子は三たびショックを受けて、散歩は中止して城へ戻ってしまい、部屋に篭って考え込んでしまったのであります。

 暫くして気を取り直した王子は、東南西とそれぞれ、重い事に出合ってしまったので残る所の北の門から、町へ行きかけました。そこで王子は身なりは貧しいが、リンとした姿の若者に出合ったのです。「あなたは、清々しい顔をしているが、何者ですか」「私は老病死の苦を超えることを求めて、修行中のものでございます。」その姿と答えに、王子は深く感動を受けられたようすでありました。この修行者との出会いは、後に王子が出家して修行をなさるきっかけになったようであります。

 二十九歳の時、王子はついに妻子に別れを告げ、何一つ不自由のない恵まれた、お城での生活を捨てて、一介の出家者となられるのであります。そして初めは有名なお師匠さんを訪ねましたが、その教える所をすぐに理解し、その教えの不十分なる事に見切りをつけて、自分で修行を始められました。今でもインドにはヨーガの行者がたくさんいますが、昔からあのような苦行、もっと厳しい苦行があったようであります。生涯座らない、つまり立っているという修行とか、着衣を一切つけない修行とか、逆さづりに何日もなっている修行、長期にわたり断食をする苦行などがあります。六ヵ年に渡りそのような修行を積まれた末、王子ゴータマ・シッダールタは苦行の意味に限界を感じられてすっぱりと止められたのであります。そして身を清めると、大きな菩提樹の下に座り深い瞑想に入られる事六日間、ついにお悟りを得られたのであります。そのお悟りとは「縁起の法」であり、「世の中は持ちつ持たれつである」ということでありました。

 私たちの苦しみは、先の四門出遊に見たように、病み、老い、死するに加えて、生れる苦しみ、欲しいが手に入らぬ苦しみ(求不得苦)、愛しい者といつか別れねばならない苦しみ(愛別離苦)、いやな奴と顔を合わせねばならない苦しみ(怨憎会苦)、身体の諸機能が元気に働いているために、感じたり受けたりすることから生じるいろいろな苦しみ(五蘊盛苦)があるのです。これを四苦八苦といい、どれもこれも自分の思うままにならない所の苦しみであります。

 事故や事件が起こって、命を失ったり、財産を失ったりする人、思いがけない病気になったりする人、人々はさまざまに苦しみます。その方たちの言われることは、何で私が、このような苦しみを、このような悲しみを味わわねばならないのかということであります。

 神戸で大地震でビルや道路、鉄道が壊れ、多数の家屋が倒れ、火災が発生しても消火もできず多くの方々が亡くなった。ところが命からがら逃げてきた隣の都会大阪では、大した被害はなく、夜のネオンサインはいつものように輝いていました。神戸の人は「なんでや」「この落差は何だ」という思いにとらわれたと語っています。なぜだ、どうしてこの私がというのが、私たちの反応なのであります。

 「世の中は、持ちつ持たれつだよ」とは頭でわかっていても、いざ自分に不利な状況が生じたとき、私たちは決して、世の中持ちつ持たれつとは思わないのであります。先程は、花が咲くにあたっての、もろもろの条件原因をあげたのですが、実はそれは私どもの考え及ぶ知識から割り出してきたものです。原因があったから条件が重なったからこの結果が生じているというのは、実は未だ科学的知識なのです。お花の場合でも、考えられたところでは同じ条件でも花が咲かない種もあるのです。私の所に事が起こるという、これが一番私たちには身にこたえることでありますし、実は説明が欲しいことであります。それを納得したいのでありますが、それを説明できるものは恐らく何もないのでありましょう。何で私の所に!何で私が!と思ってしまえば、もうそれを説明する言葉は見つけられないのであります。

 それらの事件、事故、そうたいそうなことでなくても、私たちは、なぜこの私にと思いつついろいろと苦しみ悩んでいるのであります。しかしその苦しみや悩みは、生きているうちに抱えねばならないお荷物なのであります。原因と条件の結果、私が抱えねばならない荷物になったのであります。私たちにできることはそれを受け入れ、荷物につぶされないように越えていく、縁起なのですから荷物を乗り越える新たな縁起をつくり出していくことであります。一つ苦労が無くなっても、また新たな苦労が重なってくるでありましょう。生きているということは苦労の連続といっていいのではないでしょうか。何故この私がと疑問を呈し、怒り、わめいても考え及ばないつながりの中にある遠い遠い原因が、また考え及ばないいろいろの条件に左右されて、今の私に結果が生じているのであります。それをなぜこの私が、と思って受け取ることを拒否し、嘆き悲しみ怒っても、もう起こっていること、生じていることではないでしょうか。

 そこではなぜこの私がという思いを壊して、くだいて受け取っていくことであります。このときよく聞くことは、神や仏が私をきたえようとし試練を与えている。試され試練を与えているのだと、特別に苦悩を頂戴しているように受けとめ、それを乗り越えようと努力される方もありますが、仏教はそのように個人を試したり、苦労を与えて鍛えようなどという考えはありません。それは今日は、お話する余裕がなくなりましたが簡単に申せば『世の中持ちつ持たれつですよ』という言葉が意味することが仏さまそのものなのであります。私たちの抱えた苦しみは、原因と条件が重なって生じてきたものであり、

まずは私が抱えねばならぬお荷物として、さらりと受けとめ、確かにどうにもならないほど苦しいことであり悲しいことであり重い荷物でありましょうが、一つ一つを乗り越えていくことで、私の歩む道をお知らせくださっているのであります。世の中は持ちつ持たれつ、自分一人ではありません、みんなとの関りの中にいるんですよ。仏さまのまなざしの中に見守られているんです。それが生かされているんですよということであります。

 越後の良寛さんは、大きな被害を出した越後地震の時、お見舞いに訪れた人に「災難に会うときは災難に遭うがよろしく、死ぬる時は死ぬるがよろしく、これが災難を避ける、良い方法である。」と言われました。

 仏教では、このように縁起に基づく教えを身につけていかねば、我々の一人一人がいつかは迎える、老・病・死という人生の大きな苦しみを解いていくことも乗り越えていくこともできないでしょう。と教えているのであります。北海道のお寺の奥さんですが「病気をありがとう」と、四十数歳で、三人の子供さんを残して死んでいかれました。九州のあるご住職は「ガンになってよかった」という言葉を残してなくなられるにあたり、そういう題名の本を書き残しておられます。なぜ私がという思いがポロリと取れて落ちてしまった時には、安らかに苦しみを受け取りながら、むしろそれを楽しみ、それと共に生きることに喜びが沸き起り、苦しみに対し感謝の心が生まれてくるのであります。それは先程ちらりと申しましたように「縁起の中にある」という仏さまの言葉は、実は仏さまそのものの姿であり。その仏さまと共にある自分であると思えば、そこには喜びが生じてきます。

 今日の最後の所は少し難しいかなと思いますが、縁起の中にいる自分、世の中は持ちつ持たれつですよ。その中に持たれている一人、そして持っている一人が自分ですよ、という事を充分に、これからの御生活に生かしていただきますことをお願いして、本日の話を終わります。

 

 

書 名 智慧をいただく私

第三回忍野仏教センター

真宗木辺派ご門主法話会                          平成14年9月8日収録

手を引かれる私 

 

ご法話をするにあたっては、讃題といいますが、お話をする内容に関係ある御聖教の文を読むのです。そこで本日は『三帰依文』に致します。

「人身受け難し今すでに受く、仏法聞き難し今すでに聞く、この身今生において度せずんば、いずれの生においてかこの身を度せん。大衆諸共に、至心に三宝に帰依し奉る。」

 人身受け難しというのは、自分がいま存在している、今いるのは親がいるのですね。父と母が出会って、この私は生まれてきた。なんだ当り前と思うでしょう。しかし若い頃の母とか父とかが、それぞれ別の方と一緒になっていたら、この私は存在しないのですよ。私でない誰かが存在したかもしれませんが、少なくともこの私ではないことになります。個性とか人格とか言う以前の問題として、この私がこの世に存在することは実に不思議なことです。説明のつけにくいことを不可思議といいますが、不可思議なことなのではないでしょうか。

 両親には更に両親がいますというふうにさかのぼっていきますと二十代くらい前、豊臣秀吉、織田信長のころには百万人程になります。倍の倍の倍とまあこれは計算上の数字ですが、過去からのたくさんの男女の出会いがあって、命を継いできて、今日の私がある。しかも命の繋がりは生きている者が生きているものを生み出していくのですから、たどりたどりすれば地球上に五十億年の昔に現れた生命の歴史を私は受けてここに存在しているのです。不思議な存在であり、貴重な存在ですね。人身受け難しと思います。その人身をこの自分はすでに受けているのです。ひとごとではないのです。皆さん一人一人がです。

 仏法聞き難しは、更に機会は少なくなりますね。地球の生命体の五十億年の流れを受け、魚や鳥、獣、虫といったものでなく、人類に生れ、その人間の出会いで世界の人口五十億とも言われる人類のうちの日本という国に生れ、そのまたこの地方に生れ、この場に仏教の話を聞きに来ている。これは確率からすれば、宝くじに特等当選するよりもめったにない希有な機会なのです。そしてこの席で仏法を聞くのですから、今こそその教えに従って、目を開かせていただかなければ、この先こういう機会がいつ訪れるかわからん。今この身をさとりの世界に渡して、度すというのは渡し舟で、向う岸へ渡すことです。ですから,こちらの岸が私ども日常の悩み迷いの世界に対し、向う岸は覚りの世界、目が開かれた世界です。今こそ早くそこへ渡してやらねば、いつ渡ることができるでしょう。至心というのは心から、三宝、仏法僧ですが、三宝のさらに中心は法、つまり仏の教えです。その三宝を心から私のよりどころにするようにいたします。以上が概略ですが讃題に申し上げた文章の意味です。

 向う岸というのは彼の岸、つまり彼岸です。お彼岸は、まさに仏教の言葉です。私たちは彼岸に渡らなければならないというのが仏教の教えです。迷いの岸であるこちら側(此岸)から、眼ざめと覚りの岸である彼の岸、彼岸に渡りましょう。という事なのですが、この彼岸と此岸の大きなへだたりを親鸞聖人は海ととらえ、難渡海とおっしゃってます。渡るのが難しい海であるとされているのです。

 この海を渡るには、渡し舟が必要です。六つの渡し舟が必要だと言われています。布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の六つです。この六つを六波羅密といい、波羅密とは智慧という意味ですから、智慧のある布施、智慧のある持戒というふうに全部智慧のある行いを言います。それで智慧とは何かと申しますと、この智慧は慧という字を使い、仏さまの智慧を意味します。従って仏教の教えに基づくというのが、ここで言う智慧であります。

 最初の布施というのは、自から大切にしているものを施す。あげるという事です。お布施というと、お寺さんにお経を読んでもらった代金のように考えている方がありますが、それは間違っています。布施というのは別の訳し方では喜捨、喜んで捨てるということで、

 そこへ「智慧の」がつけば、三輪清浄といって、捨てる人、貰う人、その品物の三つともが清らかな思いで、清らかなものでなければならないとされています。

 臓器移植にあまり仏教者は熱心ではありません。梅原猛という哲学者は、臓器を与えるのは仏教の布施の行為だから、すすめるべきと言っていましたが、基本的には脳死になって今後使うことなく、不必要になった臓器の移植という事は、不必要になったもの、捨てるものであることを意味しますから、決して布施といえる行為ではないという事です。熱心でない理由は他にもありますが、それは今日は止めておきましょう。

 法隆寺に玉虫厨子というのがあって、昔は背にしょって歩いた箱ですが、そこに絵が描かれています。飢えた虎のいる谷底へ身を投げている(捨身飼虎の図)自分の最も大切な命を投じているのですが、これは虎が可愛想とか、虎に恐怖を懐いてとかで身を投じているのではありませんね。身を投じている人は修行者です。隣の絵は「施身聞偈」の図です。新修行をしていたら、どこからか声が聞こえてきた。消滅滅己、寂滅為楽と聞こえて来たのです。誰だ誰がこんな事を言うのだ。すごいことを言うているが・・・前半の言葉がわからんとキョロキョロすると羅刹(らせつ=鬼)がいる。羅刹しかいないんです。そこでその鬼にお前が言うたかと問うと、そうだと答える。では前半の言葉は何と言うのか教えてくれと頼むと鬼は、俺は腹が空いて、お前を喰いたいと言う。喰わせてくれるなら教えてもいい。そこで鬼と約束をして前半の句を教えてもらうのです。それは諸行無常、是生法滅でした。それをあたりの木や岩に書きつけると、崖の上から身を投じる。真実の法を聞いた故に、我が身を布施しようという事です。

智慧の無い布施は相手をダメにします。過年インドに仏跡巡拝の旅をしてきました。そこで体験した光景は、我々日本人の観光客が来ると、バラバラと子供達が寄って来る。まあ足はほとんど裸足、汚い衣服で、何を訴えているかというと、朝から何も食べていない、親は病気で寝ていると言う気の毒な話なのです。日本人は人が好いので、気の毒にといってお金をやる。1ドルで百円ちょっとの感覚ですからね。すると我も我もといっぱい来ます。ところがある所で、香港か台湾から来た仏跡参拝のバスと一緒になりました。子供達は、日本のバスに群がりますが、中国のバスにはまったく寄りつきません。寄りついても、手を出す子供たちに何もやりません。日本のバスは手を出すと、キャンディーやお金が貰えます。インドの子供達に乞食の方法を日本の観光客は養成している事になります。布施といっても、こういう智慧の無い布施は、仏教の言う布施ではありません。事実インドでも自尊心のあるガイドは、そういう子供達を寄って来るなと怒鳴りつけています。日本からの観光客はそこがわかっていないのでやたら物やお金をバラまくのです。

 六波羅蜜の布施でも、実に難しい事です。

 持戒も智慧のない戒は、単に身を苦しめるだけです。身を苦しめて、自虐してそれを通り抜けて何かをやりとげた気分になり、仏さまを忘れて仏になった気でいるとしたらまったくデタラメな話で、戒とは言えないものです。こういうのは智慧のない戒です。まったく意味がありません。ここに良寛さんが書かれた戒があります。(巻末資料参照)

 ずいぶん並んでいます。私たちはよしんば一つぐらいはできたとしても、全部はとても無理でしょう。戒といっても決して単純なものではありません。

 六波羅蜜の六つの渡し舟を自己において完成しないと彼岸に達しない、仏教のお悟りとはかくも難しい事なのであります。ところが人の一生は「それ人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそはかなきものはこの世の始中終まぼろしのごとくなる一期なり、さればいまだ万歳の人身を受けたりということを聞かず。一生過ぎやすし」「われや先、人や先と今日とも知らず明日とも知らず、おくれ先だつ人はもとのしずくのすえの露よりも繁しといえり。されば朝には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり」「されば人間のはかなきことは老少不定のさかいなれば、だれの人もはやく後生の一大事を心にかけて」と、これは蓮如上人のお手紙による教化のお言葉、白骨のお文とか御文章といわれるものの一部ですが、人の命のはかなきことを述べると共に、後生の一大事、つまり仏になること心にかけよとお教えであります。

 そして後生の一大事とは今、命が終わるかもしれぬ、今終わるのだと受けてみますと、我々はどうしましょう。「今と言われては、なるようにしかならぬ」と思考停止の言い方があります。一見では悟ったようなセリフですが、これは思考を放棄しただけです。すてばち捨てぜりふであり、無責任な言葉です。思想的に言えば虚無主義です。

 良寛さんは新潟で大地震に遭い、お見舞いにきた人に答えた言葉が「災難に遭う時は災難に遭うがよろしく、死ぬる時には死ぬるがよろし、これが災難を避ける方法なり」と答えた、その答え方と、ちょっと似ていますね。しかしここを見まちがえると、仏教は虚無主義で、価値がないと判断してしまいます。出来ることなら逃げ出してしまいたいが、動きがとれなくて、尻まくって座り込むのと、そうかそうかと積極的に受けとめていく違いがあるのがおわかりでしょう。良寛さんの立場は「応無所住而生其心」(金剛経)という境地です。「応に住する所なくしてその心を生ず」とらわれをなくして、そこに心を置くと申し上げておきましょうか。そうか、と事態を心静かに我が身に前向きに受けているのです。

 今、命が終らんとするときどうするか。二十数年前の事、冬のニューヨーク川に飛行機が落ちました。多くの人が冷たい水に溺れ死にました。何人か助かった人の中で、ある方の話で「私が溺れてもがいていたら、私の方に板切れを押して下さった方がありました。その方は神父(キリスト教)さんでした。」「その神父さんは溺れて亡くなっていました。」

 この神父さんの行為はすごいですね。私にはとてもできないなあ、と思いました。神父さんのあり方は仏教で言う応無所住而生其心だなあと思いました。

 さて私どもは如何でしょう。後生の一大事を先程の蓮如上人のお手紙ではそのあと「阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて念仏申すべきものなり」とありますが、そうすぐには結びつきません。

 親鸞聖人のお弟子に唯円という方がいます。有名な「歎異抄」の著者で、その「歎異抄」にこんな話があります。長文なので要旨を述べましょう。

「念仏をすすめられ念仏をするのだが、踊り上がるような喜びもない。早くお浄土へ行きたいという心も生じません。どうしたらよいのでしょう」と唯円は尋ねるのです。いま、私も皆さんに今、すぐ命が終わるとするならどうしましょう、と問うているんですが、唯円さんの疑問も同じですね。

 いまだ生れざる安養の浄土は恋しからず候(まだ生まれたことのない安らかなさとりの世界に心惹かれない)のは唯円さんも、実はその質問を受けた親鸞さまも同じなのですね。親鸞さまは、この質問を受けたときに「この親鸞もなぜだろうと思っていたが、唯円さんあなたも同じなのですね」と答えていらっしゃいます。そして

「いまわの際が考えられないのは煩悩のせいです。真剣にそれを考えることのできない私を見透かしているから、仏さまは念仏をなさいと、私どもに説いておられるのです。苦悩に満ちたこの迷いの世界は捨てがたいのが、私どものあり方です。しかしどれほど名残惜しくても、この世界の縁が尽きれば命終わっていきます。その時には浄土に往生させようというのが仏さまの願いであり、その仏さまの願いの心を、素直に頂いて、或は感じ取って仏さまの御名を称する。それがお念仏です。」

「親孝行したい時には親はなし」という有名な川柳があります。子育てに苦労してみると、自分はかようにも、知らなかったとは言え無理無体を言って行って親を困らせていたのだなあとわかり、親にお礼を言い、親にあやまる気持ちになります。お念仏を申すのもこれと似た状況と言えます。いまわの際になって「なるようにしかならん」と虚無的になってはならんぞよというお心で、私たちに優しいまなざしをそそいで願っているのが仏さまなのです。

 以前やはり二十年ほど前でしょうか、検事総長をなさった方が本を出しました。題名が「人間死ねばゴミになる」という題でちょっと評判になりました。私はイヤな題だなあと思ったので読んでいません。多分、生きているうちにしっかり仕事をせよという裏返しの言葉が、死ねばゴミになるという言葉になったのでしょう。しかし、人生のその結末ゴミにしてしまうというのは、淋しい事ですね。言葉にすべきことではないと思いました。要は非常に虚無的なのです。

 ゴミだぞとつきはなすのでなく、後の事は任せておけと、優しく引き受けて下さっているのが、阿弥陀仏からのお言葉「なむあみだぶつ」であり、私たちは、はいよろしくお願いしますと「なむあみだぶつ」です。そこに安心があります。この安心が信仰なのです。

 その仏さまがいつも一緒におるぞと、後生のことは全部任せておけと見守って下さっているのですから、今日の一日を自分なりに、一生懸命に生きていけばよいのです。先の良寛さんの戒語のひとつひとつが全部できなくても、六波羅蜜が完成しなくても、阿弥陀仏の舟は、必ず向うの岸へ連れて行って下さるのです。

 もう一度良寛さんの戒語の言葉を、じっくり味わって、自分を振りかえってみて下さい。

(本日はこれで終わります)

 

巻末資料

【 良寛さんの戒語 】

(何種類かある内の一つを掲げます。『良寛全集』岩波書店刊より)

 

言葉の多き はやこと かしましく物いふ とはずがたり さしでぐち ことぐる へらずぐち ひやうりぐち 人のものいひきらぬうちにものいふ 言繰る 時ところに合わぬ言 酒えひにことわりいふ はらだてる人にことわりをいう はらだちから人にことわりをいう いささかなることをいひたてる ことごとしくものいう 人のかくすことをあからさまにいふ かたおどけ 人をうらやまひすぐる 人のことよく聞きわけずこたへする でいりのはなし けんくわの話 こうきのうはさ こどもをたらかす こどもにちえをつくる すじなき長話 唐言葉を好みてつかふ ふしぎばな 

いふてせんなきこと 人のざんそ さして用なきことはいひすてすべし 人のへんじを聞こうとするはむづかし むだごと あとからさきまで言ふはむづかし いりようのところばかりぬいてあらましいう可し かへらぬことをくどくどくどく 手柄話 自慢話 そでもなき事と知りながら言ひ通す みみにたつこと 人のいやがること 人の寝てからの大ばなし 物知りがほの話 人のことを聞きとげずにいふ 人をつかふにことばのおほき 又よくいひきかさぬ さはりになること 人にへつらふこと たやすく約束する この事すまぬ中にかの事をいふ この人に言ふべきことをあの人に言ふ 人のけしき見ずして物言ふ こととくる 我が事しひて人にいひきかさんとする 神仏のことかろがろしくさたすべからず そへごと 人にさからふこと りょぐわいとがめ きはどくもの言ふ しんせつげにもの言ふうらみのもとなり たやすく約束するたがふもとなり かげごとをいうてよくば其にむかひて たしかに知らぬことを人にをしふる 知らぬことも知ったげにものいふ すべて言葉をしみじみいふべし いひ足りぬことは又つぎてもいふ可し いふたことはふたたびかへらず ことばのすぐるはあいそなし その人に相応せぬことはいはぬがよし 

以上良寛筆         

 

書 名 手を引かれる私

    

 

慧光寺

第一回報恩講記念法話                          平成14年11月10日収録

みおしえの流れ

 

 本日はようこそ御参詣下さいました。本日は祭頭山慧光寺の発足の記念すべき日であり、その第一回の報恩講でございます。このような新たな伝統が生れる第一歩の日にお話をする機会をいただき、誠に光栄に存じます。浄土真宗の報恩講は親鸞聖人のお教えをたたえる御法要であります。そこで本日は仏教の二千五百年の歴史を、釈尊から親鸞聖人へたどってみたいと思います。

 さて、いつも申し上げることですが、仏教は仏さまがお教え下さった、仏様になる方法によって仏さまになるということであります。皆さまのお一人お一人が仏さまになることであり、仏さまになることを助かるというのであります。助かるのは仏さまになることです。

 そこで病気の平癒を祈願したり、延命を頼んだり無病息災を祈ったりするそういう仏教の例がいっぱいあるのはどうなんだと言われるでしょう。しかしそれは形は仏教の形をしているが、真実の仏教ではありませんということです。

 確かに抜苦与楽というのが掲げられていますが、目先のそれは個人的な願望であり、決して大きな広がりを持てるものではありません。

 お釈迦さまが、生老病死の解決を求めて出家され、ご修行の結果お悟りを得て、そのような苦しみから解脱された。それは解決をされたのですが、生老病死を逃れたのではなく、そこから解放されたのですね。超越されたのです、だから解脱というのです。

 歴史上のお釈迦様は二千五百年の昔に八十歳にてお亡くなりになっています。ですから肉体上の不老不死は仏教にはありません。ただそこから脱出する、超越する教えは真実を示し、仏教となって今日まで伝わっているのであり、それ故に永遠性を持つものであります。

 お釈迦様が亡くなる時の様子を書いたお経が『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』として伝わっています。パーリ文の同名経もあり、両者を交えながら、そのありさまをたどってみましょう。

 生涯を説法の旅を続けられていた釈尊も、いつかその歳八十になっておられました。ブッダーガヤを出発した今回の旅で、いくつかの村や町を通りすぎた時、釈尊は「私は老い朽ちた、歳を重ねて老衰し、人生の旅路を通りすぎた。わが歳は八十になった。」と述懐なさいます。ヴェサーリーの町では、当時一番の美女アンバパーリの所有する林で休息なさいました。アンバパーリは喜ぶと同時に、釈尊が涅槃に入るのをとどまるように説得し誘いますが、釈尊はその誘いに乗りませんでした。

 そのヴェサーリーの町をすぎると小高い峠から町を振り返り「この町を見るのはこれが最後になろう、ヴェサーリーは美しい町だ。」と別れの言葉を述べられています。

 パーパー村ではチュンダの供養を受け、その食事が悪く、中毒症状になられ「我れいま身体が痛んでいる。」と痛みを訴えられています。そして「私は今極めて腹痛を患っている。」と皆と離れた木の下に行き下血をなさいました。

 戻って来ると「アーナンダよ布を敷いてくれ、座って息みたい。痛みが前よりもひどく堪えられない。」そしてそこに座ると「水が飲みたい。」と要請します。そして少し気力をとり戻されて川を渡り、クシナーラの町はずれの沙羅の林の中に着くと、二本の大きな木の下に床を作ってくれと命じ、そこへ横になられました。

 ここまでの所で、痛いとか水が飲みたいとしんどいとおしゃっていますが、どこにも病を癒す祈りをするとか拝みをするとか、或は薬を持てといった事はひとつも書いてありません。それらの力を仏教らしく行っているのは後世の作り事ということがおわかり戴けると思います。いましばらく、このお経をたどりますが、釈尊の従者として身のまわりの世話をする役にあった方が阿難(アーナンダ)さまでした。彼は釈尊がお亡くなりになると感じ、悲しんで木のかげで泣いていると、「巳にお前のために私は説いたではないか、一切諸行は無常であり、愛も別離、恩愛も離れがある。何故に悲しみ悩むのだ。長い間お世話になった。教えた事をよく保ち、それに基づいて精進努力をすれば、久しからずして悟りに達しよう。安心するがよい。」

 この時スバッタという行者が来て「会わせろ」と強要し、アーナンダと押し問答になっているのを聞きつけお通ししなさいと釈尊は命じます。このスバッタは、病んだ釈尊から教えを聞き、悟りを得、出家して最後の弟子になりました。

 パーリ文のお経ではこのあと、

  この世で自らを灯とし自らを依り所とし

  他を依り所としてはならない

  仏法を灯とし、仏法を依り所とし

  他を依り所としてはならない

  みんなおこたりなく修行すべし

 というお言葉を述べられて、涅槃に入られました(お亡くなりになりました)この世を去っていくお釈迦様のようすに、何の奇跡も、祈祷もありませんことをわかっていただけたかと思います。仏教の原初にはお釈迦様の行動にはそのような事は一つもなかったという事であります。

 さて、仏教の二千五百年の歴史は、仏教に大きな二つの流れを生み出しました。その一つはお釈迦様と同じ悟りを得ようとする考え方であり、東南アジアに伝わる仏教が今日の姿であります。もう一つはお釈迦様の説かれた教えを発展させる形で発達していった仏教で、大乗仏教と称し中国から日本に伝来してきたものであります。

 この大乗仏教の要点を示す論著に『大乗起信論』というものがあります。著者はいろいろ言われていて不明なのですが、大乗仏教の特色を示していますので、ちょっとのぞきますと、大乗仏教は「信」を基本に置く仏教であると述べています。そして仏道の修行者は、信がなければならぬし、仏様は当然ながらこの信が完成している者であると述べているのです。そして信を分析すると三心があるとし、三心とは直心と深心と大悲心であると説いています。

 直心は真如を念ずる、真如を思うとか憶念するということです。真如とは悟りの世界であり、生じ滅し、去り来りする大自然の相であると述べています。先の涅槃経に見られる釈尊は、真如を悟り得られた仏さまであり、直心を得ているお方ということです。そして、その真如が、悟りが身に現れているありさまを深心という。アンバパーリが誘っても釈尊はその情に何らほだされなかったのは、深心の様相であるという事です。そしてお悟りが衆生に向ったときには、大悲心といい釈尊が涅槃のいまわのきわまでの四十五年間多くの者に向って教えを説いたことは、大悲心のあらわれであります。仏さまにはこの三心が基本にあるのが大乗仏教であるという事です。そこから大乗仏教は始まるのであります。

 三心のうちで最も大切なのは直心であります。要するにお悟りという事です。中国でも日本でも多くの方が出家してお悟りを求めて勉学し修行をなさいました。しかしこの真如の世界、悟りの世界は深く広く、なかなか到達できないのであります。それで皆苦しみ悩んでいます。又その方法をめぐっては数多くの宗が生まれて来ました。日本の仏教において天台とか真言というのは、直心を求める大きな流れでありました。

 平安時代の末の頃に、大原問答とよばれる事件がありました。物語り風に申しますと、六十代天台座主顕信和尚はなかなかの学匠であり学徳すぐれた方として尊敬を集めていたのですが、本人は大層苦しんでいました。弟子の養弁をつかまえて、「どうだ、お前は仏になれるか」と質問すると養弁は「とても成れそうにございません。三諦円融の真如の月を見たいと思うのですが、身の散乱にして放逸の心は雲となって月を隠し、無漏の法性に達したいと思うのですが、心の中は塵をまき上げる風が吹いて、波静かなありさまになりませぬ。さらには今日明日をも知れぬ無常の世なれば永い間の修行も見込めず、とてもとても仏に成れそうにありません。」

 「そうか、お前もか。ところで最近、法然と申す者が、念仏ひとすじで仏になる道を説いておるそうだ。聞いてきてはくれぬか。」そこで養弁は法然の下に行って、「お念仏をして仏になれるそうですが、どのようにすればよろしいのでございましょうか、お師匠さまより問うてくるように命じられましたので、お教えください。」と言うと法然は、「このたび生死をはなれ、仏になることを説くのは善導大師の御指南に基づくもので、唯念仏をして仏になるのです。仏になりたくば唯うらうらと念仏をなさってください。」

 この答えを聞いた顕信和尚はうらうらと(のんびりと)に怒ったが一応法然の言う浄土の諸書籍も読まれたのです。しかしなおわからん所もあるので問い質したいと、今で言う討論会の申し出をなさって、法然上人も応じられて行われたのが大原問答という、大原の勝林院という寺で行われた公開討論会であります。

 この問答には天台、真言など当時の高名な僧がたくさん集り、たくさん質問を出しましたので簡単にまとめながらすすめますと。

 古来より華厳、天台、密教、禅が四ケ大乗とよばれ、それぞれ、娑婆即浄土といい唯心にして己心にありとする法門をとき、一念で悟りを得て生死を離れることを目指しておるが、念仏の一門は、有相に執着する姿がある。

 いや、仏法には優劣はございません。しかし機がございます。衆生の機を引き受けられた所は、念仏の教はすぐれております。

 優劣はないと言いながら、念仏門はすぐれていますとは、矛盾したことを申すな。

 いや、矛盾と受けられてはいけません。聖道の教はすぐれた機の方のための教えであり、念仏門は機を選ばずの教えであれば衆生の機根の者にはすぐれた教えと申しております。

 江戸時代の説教本に、わかりやすくこのことを説明しています。

 夏来たりなば錦の衣より麻の衣、聖道の教えは錦の衣、しかし三毒五欲の暑さにゃ向かぬ。五濁の暑さにゃ麻衣がよろしい。

 又、別の方が質問します。「地獄、極楽は我が身にありと説き、心に弥陀がいる、心に浄土があるというのが天台の教え、しかるに念仏は何故に西のかなたの仏を拝むのであるか。」

「いや、確かに我が身に仏性あり申しますが、その我が身の仏性は煩悩の業火で燃やし尽くして、何も残っていないのが我等でござる。だから西のかなたの仏を拝します。」

「仏は西ばかりには居らんではないか。」

「衆生にとっては、諸方に仏がおられるのでは、心は落ちつきません、目標も定まりません故、西の方を申しております。」

 続いて次の質問が出て来るのですが、話していると長くなりますので、ここで止めておきます。大原問答のポイントは、時と機が問題でした。機というのは器であります。我が身の器量を考えるなら、念仏する以外に何ができましょうという事。それも、私が念仏をするのではなく仏が念仏をさせようというお力が、私に及んで私が念仏申しておるのでありますという法然上人は、先程の三心の内、慈悲心に注目なさって、阿弥陀さんは仏さま、仏さまなれば一、二は当然であり、我々衆生に対しては三つ目の慈悲心をもって接して下さるのが当然のお姿であり、諸教にも(特に浄土の三部の経)にはそう書かれてあります。という教えであります。仏さまが慈悲心をもって、我々念仏する者をお浄土に迎えて仏にして下さいますよということです。そこを法然上人はうらうらと念仏なさいとおっしゃったのですが、それでも私たちはそう素直にはできない。はいそうですかと、お念仏は出て来ないのであります。ここの所を親鸞聖人は一歩すすめてお教えくださっているのです。

 お念仏が素直に出て来ないのは、深く自身は罪悪生死の凡夫、劫々より常に没し常に流転して出離の縁あることなしという心、このままでは永遠に仏には、なれない存在であるという深い思いと、その私を偉大な仏さまは願を立てて摂受(すくいうけ)て下さってその願の力で往生させていただけるという、この格差の大きさに気づきめざめることが大切であるぞ。ことに仏の願いは、すでにお念仏になって私たちに届けられているんですよ。そのお念仏を信受することです。我がはからいを一切捨てて念仏に込められた仏願を信じ受ける、ただ念仏するのみのことです。

 それは念仏をすればどうなるのか。念仏すれば本当に極楽浄土に行けるのかといった自己の思いを捨てる事です。ここでお釈迦様のお示しになった無我が現れて来るのです。生老病死で申せば、死は念仏に一任されるのです。老も病も念仏に一任されます。そうすれば老病死から脱出し超越してしまうのでしょう。ここに真の仏教は真宗であると申し上げる理由があります。

報恩講はそのことをお教えくださった親鸞聖人や七高僧、そして阿弥陀仏さまの御恩を思い集う法要でございます。お念仏いっぱいに過ごしましょう。

 

 

書 名 みおしえの流れ

   

慧光寺仏教塾

開講記念法話                                             平成15年1月12日収録​

あきらかに知る

 

 仏教塾の第一回という事で基礎的なことを話します。十分にお聞き及びでわかっているという事も多々あろうかと存じますが、しばらくお耳を拝借致します。

 世に宗教に近づいたり引かれたりする原因として、病気と貧困、商売不振といった事があげられます。病気を抱え苦しいとか破産した、倒産して生活が苦しい、或はもっと景気がよくなって儲けたい、その他、何か非常な悩みを抱えている時などに助けて欲しいと神仏に詣でるとか祈るとかする人は多くいます。苦しみを抱えるから宗教があるという事であり、その事は否定しませんが、特に浄土真宗の場合、私どもの持つ願いを仏に頼って解決を図るということは致しません。

 病気でヒーヒー言っている時、明日食べる物もないという困窮の時など、生きることに追われている者は、その事で頭がいっぱいになっております。他の事は入りませんから、仏教の話なんて、全く聞く耳が持てません。

 仏教界でも、ターミナルケアーとかホスピス、ビハーラという形で病気の方々に仏教を語り、いわゆる「いやし」を与えるという事で活躍なさっている方もあり、それなりの効果があるのでしょうから全く否定もできませんが、基本的に心が乱れ自分の事で頭が一杯という方にとっては、仏教の話は入りにくいのであります。

 ですから、仏教の話は健康で元気で心に余裕のある内に聞いて欲しいと思うのでありますが、残念な事に健康でひまだと、遊んでばかりというのが実情ですね。心に余裕がない時というのは、騙されやすいのです。世間によく宗教に騙された方が多くニュース種になりますね。

数千円程の壺を何万円も出して買ったけど、御利益がないなんてね。そういう時には宗教家は、もう一歩上を行きますから、何万円だしたって、そんな金額じゃ御利益なくて当然だわ、何万じゃなくて何十万何百万出さんと御利益も出ません、というてね。

 騙されないためにも健康で心に余裕のある内にしっかりと聞いて下さい。仏教は転迷開悟が目標なのです。御利益が目的ではないのです。迷いを転じて悟りを開くというのは、落ち着いた心が必要ですよ。世界中に数多くの宗教がありますけどね、仏教の言う転迷開悟を目標とする宗教は、他にはありません。すべて神とか仏とか超人的存在に頼るものばかりです。

 この世に生きている人間として、欲望を持ち、その充足にあくせくしている、その自分の姿を客観的に見て、苦しんでおるな、あくせくしておるなと見るんです。それは迷いの姿じゃなあと見るんです。そう見えたら転じられていくでしょう、見えた自分を超えていくでしょう。

超えるということは迷いであったと知ることでしょう。

知れば迷いが消滅して、自由な気持ちになります。その自由な気持ちで、この世を生きることですよ。子どもの頃、つまらんものでも、大切にしていましたね。大人になればつまらんものです。なくなったって別に問題にもしませんが、子供の時はそうはいきませんね、泣きわめきます。

 くり返し少し整理して言えば、我々が持つあらゆる欲望は欲望なのだという自覚と同時に生ずる超越の気持ちとそこに生じる平穏にして自由な気分を持ってこの世を生きていくという事が、転迷開悟であります。自分自身の心が落ち着いて、元気な時でなければ、なかなかこのような転迷開悟に至りません。

 元気だからと遊んでいると、いざという時あわてふためき、悪徳宗教家に騙されることになります。

 今日はこの事を、仏教をお開きになったお釈迦様のことをお話をしながら拝見していきましょう。お釈迦様も、老・病・死・を最大の問題とされましたけれども、決して病気だったとか老いておられた、或は死にかけたからではありませんですね。むしろ健康で、生活も充分すぎる程にめぐまれた、そして幸せな時に、自ら行く末や生き方を問われています。

 お釈迦様は、ガンジス川の上流、北インドのシャカ族の王子として生まれ育った方です。ですから不自由のない豊かなめぐまれた御生活をなさっています。お釈迦様は昔をふり返って、子どもの頃には最高級の衣服を着ていた、いつも白米の食事をしていた。夏や冬の気候の厳しい時は、それをしのぐために、日常とは違った宮殿があったと述べていらっしゃいます。

 お釈迦様に『四門出遊』というお話が伝わっています。

この若きお釈迦様がある日、町へ出掛けようと、宮殿の東の門から出発なさいました。城門の外へ出ると、そこで老人に出会ったのです。杖をつきよろよろと歩いている。宮殿にはそんな者は居ませんから、王子さまは驚いて「あれは何なのだ」「老人でございます」「なぜあのようにヨロヨロとしている。あの者だけがあのようになったのか」「いえ、老人というのは誰でも年をとっていく事であのようになります」「わしもか」「そうでございます」という問答をして、大変にショックを受けられました。そして、外出は中止して城に戻られました。

 暫くして、南の門から出掛けられました。すると「病人」に出会うのです。道端にもがき苦しみ、うめき声を上げている。

余談ですが現在のインドでも路上生活者はいっぱいいますよ。あのノーベル賞を受けたマザーテレサという方は、路上に生活をして苦しんでいる病人を施設に引きとって養い心静かに最後を送らせました。二千五百年前のインドですから、こういう人はもっと多くいて病気になったら放っておかれたのが普通でしょう。「あれは何だ」「病人でございます」「病人とは何だ」「身体の不調和が生じて、病が生じている者です」「わしもなるのか」「体の不調和は誰でも生じます」こういう会話が交わされて、また王子さまは衝撃を受けられて、城に戻ってしまわれました。

暫くして、今度は西の門から出発した所が「葬式」の行列に合うわけです。「死」という事に出会うわけで、その死は誰にでも訪れるものであること、自分はいま若くて元気であるけれど、いつかは死を迎える時があることを知るわけです。今、自分は若くて元気である。気力もみなぎっており若さにおごる心でいるが、いつか老い、病み、死が寄って来るのだということを知るのであります。三度衝撃を受けられました。

四門出遊ですから、この話の最後は北の門を出た王子さまは、修行者に出会い、修行者が老病死を免れる方法を求めて修行しているのを知り、自分も出家して老病死を超えるものを求めようと決意なさったのであります。

この四門出遊の話で、重要な事は老病死をご覧になった王子さまが、そのことを自分の事として引き受けられ、衝撃を受けて悩まれたという事でありましょう。他人の事ではないのです。他人事ではなく自分の事、自分の身に起こるのだという、ここから仏教は出発しますね。私どもでも他人の事はいつも見ているのではないですか。

亡くなられた、病気になった。お気の毒になあ。あいつも年とったなーと、他人事として話題にして一杯飲んでますでしょう。他人事ではなく自分事です。だから仏教は、哲学的、形而上学的な思考は取りません。またそういう考え方を推し進めても悟りには達しません。お悟りを開いた偉い方だというのでお釈迦様に、この世はいつまで続くのでしょうかとか、身体と霊魂は同一なのでしょうかとか、死後はどこへ行くのでしょうかなど、質問をする弟子がいたのですが、お釈迦様はそういう質問はお答えをなさいませんでした。その答えが、自分自身の老病死の招く苦しみと何の関係があるだろうということでしょう。自分の置かれている場をよく見てみよということでしょう。

さてお釈迦様(王子さま)は二十九歳の折、遂にお城を抜け出し、森に入って行き修行者になりました。出家をなさったわけです。出家とはすべてを捨て去って修行をすることであります。ボロ布をまとい、食も乞食(こつじき)をして得たものを食し、財産は一切保存、保管、ため込みをしない生活であります。

修行者になった王子さまは多くの先輩の修行者を訪ね、その教えを乞うたのですが、満足する答えは得られませんでした。そこで自ら修行を始められました。その修行は苦行と呼ばれていて、身体をさいなむことで精神の統一を図り、老病死の解決を得ようとするものでありました。厳しい断食などが行われたようであります。ところが苦行を行っていると、苦行をすることが目的になってしまう事に気づいていかれたのです。断食を何日も行って身を苦しめるのは、それによって、老病死をのがれる、解決をするためであって、果たして身を苦しめることで、それらの解決ができうるものであろうか。このことに気づかれると苦行を解き、村の娘さんスジャータさんの差し出す、お粥を食べ体力の回復を図られました。

この時一緒にいた仲間達が五人居たのですが、五人は王子が苦行を止めたので堕落したと王子を見捨て去って行きました。

体力を回復した王子は、大きな菩提樹の下にどっかりと座り、静かに瞑想をなさいました。仏伝では七日間と伝わっています。

瞑想中には色々の思いが去来しました。仏伝では、それらをまとめて悪魔の、お悟りをじゃまする働きと書き表しています。悪魔はまず脅して恐怖を懐かせようとします。バケモノになり、猛獣になって攻め、襲いかかります。やる気を失わせようとするのも悪魔の手段でした。

親切な人を装って無理だよ、無駄だよ、意味がないよ、つまらない事だよと引き止め、美女に扮して誘惑を図ります。その他あらゆる手段をもって、悟りを開くことを阻止しようと図るのですが、それらの種々の葛藤を経て、ついにお悟りを開きました。お悟りを得たと言います。

このお悟りは、苦が消えた状態と言いますが、消えてしまうという事は、それは無くなってしまうのではなく、超えるという事でありましょう。

そしてこの悟りを誰かに語ろうとした時、かつて苦行を一緒にした五人の仲間が、サルナートの麓野苑に居るので、そこへ行きました。始めはそっぽ向いていた五人に「私は不死の法を得たのだ。聞く耳を用意しなさい」といって、悟りの内容を語ります。このサルナートでの説法を初転法輪(しょてんぼうりん)といって、今日では、その説法の内容がかなり整理されてお経として残され伝えられていますので、それを基にして、話をすすめてまいります。初転法輪の内容は苦集滅道という「四諦の説」と言われます。諦の字は、あきらめる、あきらかにするという意味であって日本語におけるあきらめる(残念だけどとか、後ろ髪を引かれるけど)という意味ではありません。何が明確になったかというと「苦諦」で、人生は苦である。生まれているいまの存在は苦である。したがってこれからの老病死は苦である。

その苦の原因は何かということで「苦の集諦」といって苦の集る根元、苦がどうして成立するのかをお示しになります。

苦というのは老病死に生を含めて四苦といいます。恐らくは老病死は人間にとって最大の苦でありましょう。

この他に求めて得られぬ苦(求不得苦)とか、愛しきものと別れる苦(愛別離苦)怨み憎しみを持つものと会わねばならぬ苦しみ(怨憎会苦)身体が動き活動することで、見聞きしたりして受ける苦しみ(五蘊盛苦)があり、合計して四苦八苦と言っています。これらは、いずれも、自分の思い通りにならないものです。思い通りにならないから苦しみ悩むのであります。

私どもは、あれこれと欲を持ち、それが充足されると、その欲は消えていくのです。お腹が空いた。食事をした満腹だということで、次にお腹が空くまでは食べる事は考えない。所がそれが思い通りにならないから苦しみということは、自己矛盾を抱えるからですね。自己の欲を否定しなければならないのです。自己否定を抱えるといってもいいでしょう。四苦八苦といわれるものは、まさに自己矛盾の最たるもの、思い通りにならないという点では、自己の欲求が否定されるのですから自己の存在を否定されるのであります。これが苦でしょう。そこへ持ってきて、自分の心を探求してみますと、これが又ころころとよく動くんですね。これは例を上げるまでもなく、私どもの心を少し自己観察するとわかります。変動しやすく、守り難く、制御しがたいとお経さんにも書かれていますが、刺激に対してすぐいろいろと反応する。なかなか集中できませんし、見極めることもとらえることも難く、欲と情に応じ動き、怨み、怒り、憎み、おびえ、嫉む、争う、怠ける、頑迷であり、疑いあり、へつらい、欺きおごりあり、不信をもち、傲慢であるとお経さんに書かれています。そうではありませんか。ころころ動くということは、時間を永くとらえれば、自己矛盾、ごく短くとらえれば直前の心と違った心が発生するのですから直前の否定をくり返しているのです。そういう心のありさまが、まず無常ですね。諸行無常という。一瞬一瞬に作られつつあり、前の事を否定してときが移っていく。諸行無常という言葉は、何ものも変化するなあと詠嘆する事ではないのです。詠嘆してもいいですが、その詠嘆する心が次に何を思っているのでしょう。もう動いていますでしょう。それが諸行無常なのであります。もちろん作られたものが壊されていくのも、生まれたものが死を逃れられないことも、盛者が必ず滅していくのも、諸行無常であります。

お経には「生まれたものは死を逃れる道がない。彼らは死にとらわれて、あの世に去っていく。しかし、父もその子も救わず、親族もその親族を救わない。」と言っています。

諸行無常というのも、結局自分だ自分だと思っている心のころころ動くことや、命がいつまでも若く健康であって欲しいと思う心の否定ですね。これらのことを仏教では三つの印とか四法印という言葉で言います。諸行無常・諸法無我・一切皆苦であります。諸行無常も、自己の否定、諸法無我も自己の否定、だから一切が皆苦であると説いてあります。

(後世に諸法無我は空という悟りの世界を示す内容として語られますが。いまは、苦の表れの一つとしておきましょう。)

 この諸行無常、諸法無我というのは、仏教においては、別の説明の方法もあります。それは縁起という言葉で説明されるものです。易しく言えばおかげさまでという言葉です。具体的に誰々のおかげでという場合もありますが、そうではなく何となく無事に過ごさせて貰っていますというような時にも使います。その場合には全体的な雰囲気として皆さんのおかげでと言います。これは縁起の一面を表しています。ですから縁起の全面を示すためには病気になるのも、老いるのも、死ぬのも本当はおかげさまでと言うべきなのですが、残念ながら私たちが日常に使うおかげさまという言葉はそこまでは含んでいないようです。しかし縁起はそこまで含めておかげさまで、今日このような結果が出ておりますという事です。

私たちが苦しんでいるのは、未来でもなく過去でもなく、現在であります。それは遠い遠い知ることの不可能な過去の出来事、それも私につながる直線的な過去ではなく、知ることのできない横への広がりの繋がりを含めた過去の結果が現在の私であり、現在の私の苦の因となって苦という結果があるのであります。

 この縁起を知らず、現在現われている果ばかりを問題にしているのが我々の苦である。「苦集諦」では苦の原因はそういう縁起の世界を知らない無明が苦の因とお説きになります。お経では「あの世からこの世へくり返しくり返し生まれ生まれ死に死に、輪廻を受ける人は無明にこそよっていく、無明は大いなる愚痴である。それによって永い流転がある。無明に対して、明知に達すれば再び迷いに戻らない」と整理されています。

 では、明知とは何かということで苦の滅、滅諦としてお示しになりました。苦を滅すれば(滅するはなくなるのではなく、超えることであります。)それは不死に至る法である。永遠の輪廻転生から脱し転生していかないのであります。それを滅といい、滅に至ることを入滅といいます。或は涅槃ともいいます。入滅とか涅槃とかいう言葉が、現在では誤解を生じていますが、決して死ぬとか亡くなるとかいうことではありません。輪廻の世界に生まれかわらない、再び生まれかわらない。むしろ不死の世界なのだということであります。それは涅槃寂静の世界であります。

 菩提樹の木の下で瞑想なさって、お釈迦様は見えて来たのであります。一切が皆苦である。そして皆苦の原因は、諸行無常が見えない、受け入れられない心であります。諸法無我が見えない、受け入れられない心であります。仏教が二千五百年の歴史を持ちますので、その長い間にはもっと整理され、理論立てて、筋道立てて説明はされていますが、要は見えてきた、或は見えたのであります。見えるという事は、直観的にわかったということであります。

 この世からあの世へくり返しくり返し生まれ生まれ死に死にして輪廻するのは無明によってこそ回ってゆくと見えた、見たのであります。見えれば再び迷い戻らないでしょう。それが明知の世界であります。見えたが故にわかってしまった世界であります。これを入涅槃とか入滅といいますが、滅という言葉は何かが滅した、なくなったと考えやすく、欲がなくなるとか欲をなくさねばならないとか、無欲になることと考えやすいのですが、無くなることが先にあるのではなく、見えたが故にわかった。わかったから自然に失せていく、当然に消えていくのであります。

 この直観的世界に至るに、そのためにどのような方法があるのかが示されるのが道諦なのであります。従って道諦はお釈迦様がなさった修行が書かれていますが、仏教において本当に大切な事は、いま申し上げた、諸行無常・諸法無我が見えた、縁起の世界が感じられる、見えるということであります。それがお悟りの世界であります。そしてそこに至るにはどうするかという道諦は方法論であります。二千五百年の仏教の歴史の中でこの道諦について、諸々の宗が生じてきたのであります。それは結論的に申せば、私どもに今現在釈尊と同じ方法論をとる事は難しいぞ。必ず失敗する。今のお前にはこの方法が唯一つ。すでに大無量寿経にお念仏の方法をお説き下さっているのだ。今生にお悟りを得る方法はこれ一つだ。釈尊と同じ方法やそれに近いやり方は聖道門じゃからしばらく置いといて浄土門を歩みなさいと、浄土門の諸師がお教えくださり、親鸞聖人は、これこそが煩悩だらけのこの私のための教えであると喜ばれ涙されて泣かれたのであります。親鸞一人がための教えであるとお受けになったのです。

 最後のところは、結論を急ぎすぎましたのでおわかりにくいかと存じますが、今後お話を詳しくすすめたいと存じます。

 

 

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