
バイオグラフィワークを続けて [ K.Y ]
3歳の時に歳をとった養父母に貰われた私は慎ましい静かな家庭で細やかな愛情をもらって育ったと思う。それでも幼児期の印象は薄い皮膜の中からぼんやりと外を眺めている感覚と共に思い出されるのだった。
バイオグラフィーワークで観る7歳までの幼児期の望ましい原型は「世界は善である」だ。この時期の子供は全身の全感覚で周りの世界を感じていて、そういう時期に大切なのは世界に守られているという感覚だ。そんなテーマの元に、バイオグラフィーワークを介して、これまで何度も何度も繰り返し自分の記憶の幼児期に出会い直してきた。そして出会う度にワークで描いた私の表情が呑気な屈託のない表情に変わって行き、描いている私の口元も緩んで来ている。お昼寝の投げ出した手足の皮膚に夏の空気が触れているのも蘇るし、髪を結ってくれる
母の手の柔らかさ、父の膝の温かさが肌に蘇って来るようだった。声や眼差しが今ここでのように語りかけてくれる。覆っていた皮膜がその気づきの温かさで溶けて行くようだ。
ワークで思い出すことは変わらなくても描いた絵や捏ねた粘土の自分を見るたびに感じるものが違う、そうか!ちょうど富士山を登りながら下を見るたびに景色が変わって行くように記憶も変わって行けるんだと気づく。
この頃は、それは人生にとって大きな救いなのだなと、ワークの度に安堵する。(K.Y)
私の学びの体験 [ M.K ]
私のバイオグラフィーワークの学びは、富士のお膝元であること、お寺であること、このふたつが相まって、学ぶと同時に深い癒しもあったように思います。頭でこねくり回して思い出した過去は、いつも妬みや恨みが絡みついていたように思いますが、アートから導き出した過去は、暖かく優しく包み込むように思いました。確かに今、私の中の止まっていたエーテルの成長や、挫けていた感情は晴れやかに成長していると実感しますし、それは私の周りに人にも波及しているなとも思って、確かな力になったと思っています。(M.K)
バイオグラフィワークに出会って [ Y.Y ]
「バイオグラフィワーク」という言葉を初めて耳にしてから、もう16年が経ちました。正直なところ最初は、「過去を振り返ったところで何が変わるのだろう?」という半信半疑の思いでワークに臨んでいました。
当時すでに50代、幼い頃の記憶や小学校時代の出来事を思い出すことにも時間がかかりました。それでも、絵の具や粘土を使いながら自分の人生の場面を再現し、ひとつひとつのシーンを描き出していく中で、不思議な体験がありました。それは「過去の出来事はすべて、今を生きている」という実感です。何度も同じ場面を振り返ることもありますが、そのたびに出来事の意味や登場人物との関わりが新たに深まり、思い出が生き生きと息を吹き返すのです。今では、ワークを重ねるごとに新しい発見があり、過去の体験から力をいただいている感覚があります。
もちろん過去そのものは変わりません。けれども、その出来事を今の自分がどう受けとめ直すかによって、過去は別の光を放ちはじめます。振り返りに新たな視点を得ることで、「今ここにいる自分」を以前よりは肯定的に受けとめられるようになりました。(Y.Y)
私にとってのバイオグラフィーワーク [ Y.K ]
私がバイオグラフィーワーク ベーシックを受講して感じたことは自己理解の深まりでした。自分の人生の物語を客観的に見つめ直すことで、「あの時、こんな困難を乗り越えてきたんだ」「あの経験があったから、今の自分があるんだ」と、過去の出来事や選択に新たな意味を見出せるようになりました。また、忘れていた過去の出来事の中に、まだ気づいていない自分の可能性が隠されているかもしれないと思うきっかけになりました。じわじわと自分の内面を見つめその人生に感謝するワークです。(Y.K)